真田昌幸

戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。
甲斐国の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。
軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像として現在でもよく知られ、武田二十四将の一人にも数えられることがある。子に真田信之(上田藩初代藩主)、真田信繁(真田幸村)ほかがいる。
参照→Wikipedia真田昌幸
「第42回魔界〜慟哭クライング」で突如、魔界に現れる。
現世では、豊臣秀吉から預かった秀吉と甲斐姫の間にできた兄妹、真田大助、霧隠才蔵を忍として育て、真田十勇士を結成し、天下を狙うも果たせず配流先で非業の最後を遂げる。
魔界では道満によってヒトガタとされ蘇るが、晴明と右近の攻撃によって、道満から自身の魂を取り返す。
真田十勇士を再び魔界で結集しようと目論む。
演じるは植村好宏。
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